はじめての木苺摘み、少女の憧れはオバサンの生活。
2015年12月、セニョリータ様のお誘いで、木苺摘みに行く。
え?苺と言うなら春ではないのか?今年は暖かいとはいえ、12月よ?
セニョリータ様に伺うと、「何か知らないけど、いつも今頃山に行ったらなってるんです。雪が降るようななかで摘むこともあるんですよ~。」とおっしゃる。
後で調べたら、この時期フユイチゴとかいうものがあるらしい。
木苺摘み。なんてガーリッシュなお言葉だ。夢みる少女時代そのままの響き。物語や絵本の中の木苺摘みにジャムづくり、ランチを持ってピクニックなど、いつも憧れ夢想した。女の子女の子したものが大好きな子どもだったのだ。
今でもそうだけどね。でも現実女の子っぽいことって面倒くさいからやらないだけ。
50歳になっても、かわいいものでギャーギャー(キャーキャーではなく)騒いでいるオバサンたちを馬鹿にする人もいるだろうけど、人間年を取ったからって気持ちも勝手に年を取ってくれるわけではない。オジサンがよく言う「男のロマン」とかも同じだ。「若気の至り」と同じく、「年寄りの至り(上手く年をとれなくてやっちゃうイタイ事)」も存在するのだから、目くじらを立てないでもらいたい。
50歳のスミレは、今でも「木苺摘み」の少女的響きにウキウキしてしまうのだ。
憧れの木苺摘みなのだから、ドレスでも着ていきたい気分だが、山道を行くので防寒しっかりのジャージ姿。かつての夢みる少女は実利を愛する女となりました。
だが、動きやすい靴を忘れて、ハイヒールというへんてこりんな格好になった。
ともかく山へレッツゴー!
セニョリータ様の案内で、とある山へ入っていく。すぐに山道沿いの切り立った崖に、赤いツブツブした苺が見える。大きい。そして本当にルビー色をして綺麗。
片っ端から採っていく。
少し行くのが遅かったようで、もうすでにかなり採られた後のようだ。それでも崖の上の方にはかなりある。絶壁にヒールを打ち込むようにして登って結構採れた。運動靴ならもっと登るのにな。ちょっと悔しい。
木苺を求めてどんどん奥へ入り、採ってまわった。楽しい。草をかき分け、ぬかるみを超え、赤いツブツブに手を伸ばすと、それを待っていたようにポロリと実が落ちる。ひたすら黙々と採り続けた。
ビニール袋にたくさん摘んで、持って帰る。
生で食べる。みずみずしくて甘い香り、酸味も強い。柔らかいが大きな種がツブツブと舌にさわり、後味を残す。美味しい!
残りはジャムにした。これがまた美味い。酸味がややまろやかになり、種がいいアクセントで、ヨーグルトによく合う。色もきれいだ。
ついでにどうぞと、セニョリータ様宅の柚摘みもさせてもらった。
柚は、木にとげがある。このとげに刺さらないようにしないと痛い。1本の木に500個くらい小粒の実がなっているのを、どんどんハサミで切って落としていく。
柚を取るのもはじめてだが、これは木苺摘みとセットで一つと数える。
スミレの少女時代憧れた、木苺摘みに柚摘み。できなかったから憧れたわけで、ちょっと田舎の女の子なら、こんなの普通にできたんだろうね。
よく考えたら、今オバサンたちに流行りの「天然生活」とかは、少女でなくおばあちゃんにこそふさわしいよね。田舎生活を夢見る少女が、それができる年相応になったってことかもしれない。
若くて仕事して子どもが小さかったりして、「天然生活」できるゆとりなんてなかったけど、年を取って時間的余裕ができたからこそできる生活。
じゃ、女の子っぽいとされるものは、年取ってからこそふさわしいのかも。だって、昔から言われる「女の子っぽい」は、いわゆる家事手仕事だもん。スミレの憧れは、オバサン生活だったってわけか。どうりで憧れ街道を進めなかったわけだ。まぁ今ならこうして楽しめる。
かわいいものにギャーギャー騒ぐのも、オバサンだからこそなのね。たぶん。
年始のご挨拶。やる気は十分あるんだよ。
元旦からずいぶん経ってしまいましたが、明けましておめでとうございます。
今年こそ、まめに書いていこうと思いましたが、お正月をすっかり自堕落に過ごしてしまいました。とは言え、一年は始まったばかりです。ポチポチ小さくやってきます。
今年もよろしくお願いします。
というわけで、年は明け、スミレの50歳記念事業、「今年中に今までしたことない事を50個やる計画」、いよいよ本格始動だ。
年初めにあたって、ちょっと整理してみよう。
まず、去年のうちにやったこと。
- スマホにする
- バードマンで飛ぶ
- 乗馬に挑戦
- パラグライダー体験
- 姫路城潜入
- 竹田城を歩く
- 城崎温泉でカニ食べる
- 出石で皿そばを食す
- エキストラで女優デビュー(これは報告しない)
- タルトタタンをつくる
- ジャザサイズで燃え尽きる
- 道後温泉でのんびり
- 松山城を楽しむ
9のエキストラは、ないしょ体験ね。
で、あとまだ報告してないけど、やったのが2つある。
だから、もう15個もクリアしているのだ。すごい!やるなぁスミレ!
こんな調子でやってたら、50個なんてすぐ出来ちゃうかもね。そうなったら、50個超えてもどんどんやっちゃお~!
とにかく今年一年は、初めてシリーズをやる年!ということで。
行けるとこまで行っちゃう!
ちなみにほとんどだらだらとマンガを読んで過ごした正月だったが、元旦には、バク転師匠、スパルタン(52才)の指導を受けてきた。はじめてのバク転へ向けて、只今逆立ち修行をする毎日である。
ほんと、スミレ、やるぅ~!(ほめほめ)
はじめての松山城は、萌え萌えの名城でした。
2015年12月、松山城へ行ってみる。
ロープウェイ・リフトのセット券というのを購入。ロープウェイとリフトと乗り継ぐのかと思ったら、ロープウェイとリフトが並走していて、好きな方を選べるというのだ。面白い。
ロープウェイは10分おきにでるので、待つようならリフトに乗る方がいい。天気によって選ぶのもいい。選択できるっていいことだ。
で、往きはリフトで。気持ちいい。なんか子どもの遠足気分で盛り上がってきた。
「松山城は、山の上にある。加藤嘉明という武将が、関ヶ原合戦頃のどさくさに紛れて、こんな高いところに城をつくる許可を家康にもらった。以後幕府は、高いところに城をつくる許可を与えていない。
けれども築城後、瀬戸内海を隔てはるか遠くまで見渡せる城は、幕府の腹心に渡され、加藤嘉明はよそに異動になった。御覧なさい、この景色を。こんだけ高いお城はありませんよ。」
これは、入り口にいた説明ボランティアさんのお話。なぜだか一緒に付いてきて、ものすごく丁寧に説明してくれて、有難かった。時間があったらもっとゆっくりお話聞きたかったのだが、そうもいかず、だがかなりのうんちくを教えていただいた。
松山城は、広い。城が、姫路城より新しい・・んだよね多分、より洗練されている。つくりも余裕がある。詳しく説明してもらったせいもあって、見ごたえのあるお城だった。
たまたま、仮屋崎省吾さんが城のあちこちに華を生けるイベントがあってて、ものすごい立派な花々がこれでもかとばかり活けられており、こちらも見ごたえがあった。
石垣も、ビューティフル。
いいですよ、松山城。とてもいい。
天守閣からの景色は、本当に遠くまで見渡せてきれいだ。城の中は、戦国時代の終わりを意識して、籠城用のみでなく住めるようなつくりをしている。
とてもいい城でした。満足。
二の丸が、何やら「恋人たちの聖地」らしいが、行けなかった。恋人たちに興味はないが、次に行く機会があれば、二の丸跡庭園に行ってみたい。
お城がお城なだけで、こんなに素晴らしいのだから、こんな聖地つくらんでいいのに。と、思いながらロープウェイで下った。
はじめての道後温泉本館は、ばばんばばんばんばん
というのがなかなか覚えられない。 四国の人、ごめんなさい。高知以外の位置がどうにもごっちゃになってしまいます。
1015年12月、道後温泉に行く。
愛媛といえばみかん。これは揺るぎませぬぞ。しまなみ海道を渡って車で愛媛に近づくにつれ、どこもかしこも「みかん」とか「レモン」とかつく商品が並び、実際畑にオレンジ色の実があれこれとなっている。本当にみかん県だ。
みかんだって、何種類もあって値段も大きさも様々。柑橘系大好きなスミレには、とても興味ある光景だ。いろいろ食べてみたくなる。愛媛、いいところだ。
だが、とりあえず温泉だ。
道後温泉、とくれば「坊つちゃん」。えーっと、「坊つちゃん」、読んだが温泉のことなんてあったっけ、全く覚えていない。
しかし、どうやら道後温泉は、「坊つちゃん」どころじゃない、遥か昔からの由緒正しい、国内最古の温泉なのだとか。日本神話の舞台になり、聖徳太子も滞在したという、素晴らしい経歴の温泉でした。御見それいたしました。
道後温泉とは、その温泉の出る地域をいうのだろうが、もちろん入浴すべきは道後温泉本館というやつである。これが「坊つちゃん」で絶賛されたとか。
木造3階建て、屋根が入り組んだ様な複雑なつくりをしている。思ったよりも大きさはそうなく、四方向から見えるように、その土地にぽつりと建っている。
見る方向で、雑多で猥雑に感じたり、すました和建築の様だったりするのが面白い。全体的には、窓をカラフルに装飾しているせいもあって、派手なつくりだ。なるほど、「千と千尋の神隠し」のイメージ作りに一役買っている感ありありだ。
自販機でチケットを買って、昔ながらの、おばちゃんがいる改札(?というのだろうか)を通る。1階の入浴のみのチケットにした。石鹸なんかも、持ち込むか買わないといけない。
「女」と書かれたところに入ろうとしたら、「あちらへどうぞ」と奥の入り口を案内される。?手前は料金が違うお風呂なのかな?と思いつつ脱衣所へ。もうここはよくある古い温泉宿と同じような脱衣所だ。古く、狭い。
浴室は、うわぁここも狭い。というか天井が低い。真ん中に楕円型の浴槽があり、中心になんかでっかいモニュメントみたいのが建ってる。何やら書いてある(日本語)が、読めない。浴槽は、深い。わぁ深い。腰を掛けられるよう、段差がつけてあるが、そこに腰かけても首まで浸かれる。いいわぁこれ。でも、ひっきりなしに天井から滴が落ちてくる。もうほんとひっきりなしに。思わず「ドリフ」歌ってしまいましたよ。この歌を、平成25年の暮れに実感もって歌うとは、なんか感無量。
湯につかりながら見回すと、スミレが入ってきた入口のほかに別の扉がある。むむ?もう一つ浴室が?まさか露天が?なんて開けると、なんと脱衣所でした。この浴室には、2つの脱衣所がついているのだ。どうやら混み具合を見てはじめに振り分けていたようである。なるほどね。
まさにひとっ風呂浴びた、という感じで、道後温泉本館を出た。
この建物は確かに素晴らしい。なんといっても見て飽きなくて面白い。もう少しお金出して2階とかいったら多分もっと楽しめる。
でもね、水回りはやっぱ新しい風呂が快適でいいね。と、本館近くの綺麗なホテル(茶波瑠さん)の大浴場に入ってその快適さを実感するスミレだった。露天もあるし、シャンプーもクレンジングもある。
温泉施設の進化に感謝~!ほんといいお風呂だった。
本館も一度は入るのをお勧めする。
「ドリフ」歌いたくなるから。この体験は貴重。
歌を知らない人は、勉強していってね。
はじめて作ったタルトタタンは、大成功の美味しさ
「やったことない事を探しているんです」と、セニョリータ様に言うと、「タルトタタン、作ったことありますか?」と聞かれた。
セニョリータ様は、10ほど上の年齢だが、スミレがその年になっても絶対にそうはなっていない、と言いきれる、いわゆるよくできた人物である。温厚な人柄、何事にも真面目に取り組む姿勢、誰に対しても誠実な対応、けれども決して多勢に流されず、大事なことはきちんと口にする、もうほんと尊敬する人物なのだ。
仙女のようだから、セニョリータ様。
セニョリータ様は、スミレのチャレンジを面白がってくださり、協力していただけることとなった。
で、タルトタタン。「ちょうど紅玉があるから、一緒に作りませんか。」と誘われた。セニョリータ様は、すみれにも敬語でお話してくださる。
タルトタタンは、アップルパイのアレンジ版のようなものだ。
昔タタン姉妹という人たちが、アップルパイを作ろうとして、パイ生地の上に林檎の具をのせるはずが、間違えて具の上にパイ生地をのせて焼いてしまいました。仕方がないから焼けた後ひっくり返しました。すると、ふたのないアップルパイの様なものができて、美味しいではありませんか。以来、このパイをタルトタタンと呼ぶようになりました。
という、お話と美味しそうな写真は、子どもの頃に本で読んでいる。
だから実は、作ろうとしたことがあるのだ。原理はわかってるんだから簡単、と思ったのだけど、ちょっと調べてみるとカラメル作れとか何やら面倒なことがレシピに書いてあり、お話とちがーう!と作らなかった。
でもセニョリータ様がご指導してくれるならできそう!
そこで2015年12月タルトタタンに挑戦。
まずは、パイになる生地を作る。パイ生地と言えば普通層になったやつだが、今回はセニョリータ様おススメのパート・シュクレというバターを小麦粉に練りこむような生地。菓子作りは結構凝ったことがあるので、さくさくできちゃうよ。
生地を寝かせている間に、林檎の用意。林檎は紅玉をセニョリータ様が用意してくださった。小ぶりなので、6等分のカタチに切っていく。これをあらかじめ煮ておくのかと思ったら、そうしない。
今回はセニョリータ様が開発した、かんたんタルトタタンなのだ。
まず、タタンの型となる丸いケーキ型に、適当な量の砂糖を入れる。
型を直火にかける。すると砂糖が溶けてカラメル状になってくる。そこにちょっと水を加える。ジュッッッ。
カラメルの上に切った林檎を並べていく。凸凹になっちゃうけど気にしない。
上に丸く伸ばしたパート・シュクレをのせる。伸びて凸凹になるけど気にしない。
180℃に温めたオーブンに入れて20分。温度を160℃に下げて40分。
生地が焦げそうならアルミ箔をかぶせて、じっくりと火を通す感じ。
できたらそのまま冷やしてからひっくり返す。
じゃじゃーん!!!すごくない?こんな立派なのが出来たよ。
スミレ、感激してしまいました。早速切って食べるとまた美味しい~!!
林檎が甘すぎず、しっかり火が通って食べやすい。作ってやっとわかったけれど、なるほど、カラメルがないと林檎だけではたぶんこの形をキープできないのね。カラメルと、林檎から出る水分が交わって何やらゼリーっぽいものが出来て、林檎と林檎をひっつけてくれる感じなのだ。
パート・シュクレ部分は凸凹だが、ひっくり返すと全く分からない。でもってこの生地すごくうまいっ!林檎とマッチして美味しいのなんの。
あぁ幸せ~!!
スミレがほこほこ満足しているので、セニョリータ様も喜んでくれた。ありがとうございました。
タルトタタン。これ美味しいよ~。
紅玉はないけど、また作って極めたーい。それくらい美味しいよ。
50周年をやってよかった~と、また思ったタルトタタンであった。
はじめてのジャザサイズは、脳を機能不全にする装置だった。
マイボス(スミレの上司。少し年上、女性。)が、ダイエットにチャレンジした折に挑戦したジャザサイズに誘ってくれた。彼女は、1か月で体重を落とす賭けを誰かとして、見事痩せたのだ。ジャザサイズは、その時にやって、「かなり汗をかいてすごい筋肉がつくよ」と言う。
今スミレは、いろいろ初めてのことに挑戦するにあたって、体力の衰えを危機的に感じ、筋肉を落とさないよう筋トレを積極的にやることにしている。ならばと、やってみることにした。
じゃぁ一緒に行こう、と北九州のとあるジャザサイズスタジオへマイボスと向かう。1回だけの利用というのができるところがいい。
ところで、ジャザサイズとは何か知っていますか。
よく知らなくてもいいのだ。音楽に合わせて身体を動かすフィットネスプログラムである。
実はスミレはジャザサイズにはちょっと思い入れがある。もう20年以上前になるが、新聞でジャザサイズが楽しい、という記事を見て、スミレはすぐやってみたいな~と思ったのだ。ところが当時はまだぜんぜん知られていなくて、ジャザサイズといっても知っている人に会ったこともなかった。だから諦め、そのうち口にすることもなくなった。それが、今では結構知られた存在になっている、なんかちょっと悔しい感。早くからジャザサイズいいって思ってたんだからね。
スミレたちが入ったそのクラスには、全部で20人ほど生徒さんがいた。みなさん、慣れた雰囲気で、まず格好がおしゃれである。ジャージとTシャツ、いかにもダサダサは、スミレとマイボスだけである。ちょっと不安がよぎる。
広いスタジオにはステージがあり、先生はそこで生徒方向を向いて踊ってくれる。私たち生徒は、とにかく先生のまねをして踊る。
始まりの時間になった。今から一時間、マイボスによると休みなくびっしりと動き続けるらしい。ドキドキである。
先生は大音響でアップテンポな音楽をかける。そして、ひっきりなしにマイクで右手を云々とか前とか後とかわいわいわめいているのだが、音楽がうるさすぎて何を言っているのかはっきり聞き取れない。先生と向きも違うので、初めはよくわからなくて戸惑ったが、先生の真ん前にとても上手な生徒さん(ピンクの服を着ていたのでピンクちゃん)がいて、その人を見ながらやるのが分かりやすいので、先生とピンクちゃんを半々に見ながらついていく。
なるほどなるほど、ここで手を上げて右向いてふむふむ。
ダンス系は好きなので、結構頑張って楽しく踊っていける。先生もピンクちゃんもハイ!とかヘイ!とか声を出しながらピョンピョン飛び跳ねノリノリだ。スミレも負けじと踊り狂った。右に左に前に後ろに、リズムに合わせて飛び回る。
上手にできると楽し~い!スミレなかなかやるじゃ~ん!
しかし、いかんせん、体力なしのスミレである。この大興奮ぴょんぴょこ踊りはいったいいつまで続くのか?20分もしたらよれよれになってきた。
一曲ごとに、生徒は皆水を飲むが、休憩というわけでもなく「さぁ次の曲行きますよ~!」と先生の元気いっぱいな掛け声がかかるのだ。
「手を抜くのよ、手を抜いて休むのよ~」と後ろからマイボスのささやき声がする。そう、マイボスは初めから頑張ったりしないでゆる~く適当なのだ。スミレのダンス好きが仇になった。
足が上がらなくなってくる。頭もしびれてくる。汗はどくどく流れる。息もゼイゼイだ。まだ?まだあるの?
クラスが始まって40分後、どうやらやっとぴょんぴょこ踊りは終了したようだ。「ダンベルを持って~!」と指示が入る。1キロずつのダンベルを握る。
さぁ今度はダンベルを持って踊る。さすがに少しスローなテンポだが、念入りな動きで腕を動かすので、重いー。しかしここは負けられない。もともと筋肉を付けたいのだ、必死で腕を動かす。
次はマットに寝転んで脚の筋肉を鍛える動きになる。身体の片側を下にして、上になった足を上げたり下げたりする動き、よくあるでしょ。
ところが、ここでスミレの筋肉は限界に達した。もうどうにも動かなくなったのだ。上がらない。あぁっっ!もうだめっ!
足は全く上がらなくなった。
周りを見渡すと、マイボスとスミレを除いてみんなまだ動いている。さすがだ。仕方ない、この動きは休憩。
次にストレッチになってやっと追いついて動けるようになった。そのまま何とか最後までいく。終了。
スミレは身も心も真っ白に燃え尽きた。
体が疲れる、ということはあるけれども、頭がこんなに真っ白になったのは初めてかもしれない。もう何も考えられない。頭が全く動いてくれない。夢の中にいるように、ぼんやりとしか考えられない。身体も動かないし、肩がすでに筋肉痛だ。
車を運転して帰ったが、これは危険かもしれない、と思うほど脳は動かなかった。家では寝転がってぼんやりとテレビを見て(こういうことは滅多にしない)そのまま死にそうだ。
運動って、しすぎるとこんなに何にも考えられなくなるんだ。知らなかった。
運動ばかりする高校生が勉強できないってこういうわけか(いや違うでしょ)。
みなさん、無理な運動はやめましょう。脳が働かなくなります。
ジャザサイズを一時間楽しむには、かなりの体力を要すると思う。
だが楽しい。次の日の午前中まで、もう二度とやれないと思っていたが、午後になって体力が回復してくると、踊れて楽しかった記憶がよみがえる。
ついていけるようになりたい。
はじめての皿そばは、温泉卵と絡んで心掴まれる。
出石(いずし)、という町の名前、初めて聞いた。兵庫県の城下町。
そこに皿そば、というものがあるので、これに挑戦する。わんこそばをしたらいい、という案もあったので、この皿そばもよさそうでないか?
出石というところは、城跡を中心に古い町並みが残っていて、こじんまりとだがなかなかの観光地である。スミレが行った11月は紅葉の季節でもあるので、これまた結構な人込みであった。城跡の石垣も小さいが綺麗だ。
皿そばは、一人前のそばがなぜか、5枚の小皿に盛られてくるもの。どうしてこんな形になったのかは知らない。
たくさん店があるので、それぞれの味を楽しむため、3皿づつ食べて回れるものもあるが、それほどそば好きでもないので、ふつうにどれか一つの店を選ぶ。
で、なんとなくで湖月堂というところにした。
お菓子屋さんでもある湖月堂では、皿そばに名物の餅菓子とかりんとうがつく。お腹が空いていたので、皿そばが来る前に食べる。うっまーい!!特に餅菓子、もっちもちで好み~!お土産にも買うことにする。自分用にね。
で、皿そば。
温泉卵と山芋がついてくる。初めの一皿は薬味だけ、次に卵をツユに入れて一皿、さらに山芋いれて一皿。あとはお好みで、という風に食べるらしいのでその通りにする。
卵は、お店によっては生卵だったりするらしい。
が!温泉卵で食べるソバ、うっまーい!!よかったー!この店選んで!温泉卵正解だよ~!トロトロ卵が麺に絡んで、涙出そうに美味しかった!卵に衝撃を受け過ぎて、次の山芋はあってもなくてもで、影は薄かった。山芋が先の方がいいかもよ。
小分けの皿にするのは、お代わりしやすいようにかな。一皿追加!とかするのかもね。
出石の皿そば、満足。
温泉卵で家でもやっちゃうね。そん時は皿そばじゃないけどね。