はじめての50歳を50本のロウソクで祝おう
2016年2月某日
スミレは50歳の誕生日を迎えた。
どうせ自分で作るのだから、ご馳走などはしない。外食するのももったいない。ケーキだけは買うことにする。甘いもの大好きなのだ。
予約などしていなかったので、3軒回って好みのチョコレートケーキを探した。
どうですか、美味しそうでしょう。大人っぽくシンプルで高級そう。
この日のために準備していたロウソクを立てる。細く長いもの、楽天さんで購入。はじめに淵にぐるりと立て、残りを中に立ててみる。
50本、意外と余裕で立てられた。大きいケーキを買わなくてよかった。
火をつける・・これが難しい。つけやすいよう内側からと思うのだが、どうしても位置的につけにくい場所が出てくる。チャッカマンの火を近づけると簡単に点火するわけでもなく、意外と時間もかかる。もたもたしていると、ロウソクが溶けてケーキに落ちたり、短くなったりして焦る。こんなバカなことしてて、火事になったら目も当てられない。途中水を用意しておくべきだったと思う。ロウソク同士が近く、火がくっついて大きくなったりするとビビる。
準備できた。スミレの家では、この時点で家族が「ハッピーバースディツゥユー」ってやつを手拍子しながら歌うのが慣例だ。はい、みんな歌って~と声をかけるのはスミレだけれども。合唱の中、まるでキャンプファイヤーのごとく燃え上がるロウソク。楽しい。
「おめでとう~~~」の声で、「ありがとう~~~」と答え、ふっふっふ~~~っとロウソクを吹き消した。一息では無理なので三息くらい。
火をつけている時に、ロウがポタポタケーキに落ちたので、それもきれいにとってカットする。
ロウソクを抜いた穴がぼこぼこだったが、全く気にならない、美味しいケーキだった。
生まれて50年。
「恥の多い人生を送ってきました。」とは思わないが、自慢できる人生でも決してない。
だが、50年とはあらためて感慨深い。半世紀生きたのだ。長い。
スミレの子ども時代と比べ、世の中はとてつもなく変化した。身の回りの人間も変わった。人々がやることも言うことも変わった。
スミレも変わった。
その昔、確かにあったはずのあの時間、あの空気、あの時のスミレはどこにいったのだろう。昔が良かったとは思わないけれど、もう二度と取り戻せないものを懐かしみ、苦しくなる。
今はいない人もいるのだから、こうして50歳を祝えるのは、本当に幸福なことだ。
あと50年経ったら、どんな世の中になって、どんな人間がどんなことやっているのだろう。
今よりも笑っていられる未来であるように。幸せを感じる人が、今より一人でも多い未来であるように。海も空も山も美しくあるように。
50年後、100本のロウソクを立ててお祝いできる世界であるように、祈る。